増田長盛陣跡[道際駐車場から見える曲輪・石塁跡]豊臣政権五奉行の一人。朝鮮渡海。文禄4年(1595)、大和郡山城20万石。 北条氏盛陣跡[遊歩道近くの曲輪・石塁跡と旗竿石]後北条氏3代目氏康の四男氏規の子。名護屋在陣。 生駒親正陣跡[曲輪・石塁跡]秀吉の国内統一戦に歴戦。讃岐一国17万石。朝鮮渡海。 島津義弘陣跡[遊歩道際の曲輪・石垣跡]薩摩島津氏の18代目。薩摩・大隈・日向56万石。朝鮮渡海。慶長の訳では泗川の戦い等で勇名をはせる。 九鬼嘉隆陣跡[整備状況]豊臣水軍の主力として活躍。朝鮮渡海。伊勢・志摩の内3万5千石。 豊臣秀保陣跡[整備状況]秀吉の姉ともの子。秀吉の弟秀長の養子となり、秀長死後その跡目を継ぎ「大和中納言」。名護屋在陣。 堀秀治陣跡[整備状況(陣跡では唯一の全体的装備)]越前北ノ庄18万石。慶長3年(1598)には、越後春日山45万石。名護屋在陣。 富田信則陣跡(天神社)[道際鳥居脇にある旗竿石]秀吉の国内統一戦に歴戦。朝鮮渡海。文禄4年(1595)に伊勢安濃津5万石。 徳川家康陣跡[曲輪・隅櫓跡石垣現況(道際なごや保育園横)]豊臣政権五大老の1人。江戸を本拠とし250万石を領した大名。1万5千の兵力を率いて名護屋在陣。家康はこの本陣の他に海を隔てた東側対岸に別陣も構えている。 木下延俊陣跡[整備状況・トイレ跡]秀吉の正室おねの兄家定の子。名護屋在陣。※名護屋城博物館内から見学路へと通じています。 前田利家陣跡[館部大手・旗竿石]豊臣政権五大老の1人。8千人の兵を率いて名護屋在陣。文禄2年(1593)に名護屋に来た明国使節団を接待する。 加藤嘉明陣跡[整備状況(呼子大橋前)]賤ヶ岳の七本槍の1人。朝鮮渡海。水軍の将として多くの海戦に参戦した。 「名護屋城博物館提供資料」を改変・加筆 唐津市観光協会作成 平成24年3月14日